2012年8月6日

尊厳死を考える

夫の親しい友人が、今、尊厳死を望んでいる。しかし、メルボルンのあるヴィクトリア州では、その希望はかなわない。

彼は、昨年、末期の大腸がんであると宣告された。しかし、手術と放射線治療が功を奏して体調が回復した。術後の検査で、すい臓にがんが転移していることが分かったが、幸運にも転移した場所が良かったので、手術により仕事に復帰できるほどに健康が回復した。

ずっと比較的体調は良かったが、やはり、がんは肺や肝臓など様々な臓器に転移していた。

彼の妻は、数年前に若年性アルツハイマー型認知症を発病し、非常に短期間で記憶を無くした。夫であるその友人のことも認識ができなくなり、生活能力も全て失った。妻が妻ではなくなった後、病院にその人を見舞うたびに、彼は慟哭していた。

彼の妻は、今年の4月ごろに亡くなった。

彼は、息子や娘達家族と絶縁しており、親しくしている家族も親戚もいない。二人の親しい友人が昨年以来ずっと彼の面倒を見てきた。その二人の友人のうちの一人が、私の夫というわけである。

体中に転移したがんは、もう手の施しようがないと分かり、彼は自分の葬式を手配し、残される愛犬の新しい飼い主を探し、自宅や車の処分方法も詳しく決めた。二人の友人が、ずっと力になって、そうした手配も手伝った。

2ヶ月ほど前から、体調は急激に悪化し始め、度々病院に担ぎ込まれるようになったが、少しでも体調がよくなるとどうしても自宅に帰りたいと言った。家に帰っても、数日のうちに再び激しい痛みに襲われて、病院に逆戻りとなるのだったけれども、二人の友人が、その都度世話をしてきた。

しかし、胃も腸も消化機能をなくし、食事ができないどころか水分の吸収さえ困難になった。肺ががんに侵されて呼吸も困難になってきた。

先週病院に見舞った時には、まだ元気そうに話をしていた彼が、今はチューブにつながれてベッドに横たわっている。

彼の精神は穏やかだ。もう死を受け入れる覚悟ができている。

これから、さらに激しい痛みと苦しみが待ち受けており、その痛みや苦しみを和らげるためにモルヒネを打たれ、意識を失い、自分が自分ではなくなることが分かっている。

自分という存在がなくなってしまった後に、何日間生き続けるのであろうか。いや、そのような状態を生きていると言えるのだろうか。

彼の愛する人は、もうこの世の人ではない。彼には、親しい友人が二人いるだけである。

彼は、最後まで世話になったこの二人の友人に、感謝と別れの言葉を述べて、まだ自分が自分であるうちに自分の人生を終わりたいと考えるている。

彼のような考え方は、間違いだとは言えない。それは、個人の選択である。

しかし、ほとんどの社会では、この選択は許されない。

無駄な延命治療だけはしないようにという希望が聞き入れられるだけである。いや、その希望さえも聞き入れられない社会は多い。

彼が、早く、安らかに、最期の時を迎えられるようにと祈るばかりだ。


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