2012年9月30日

引越しスタート

ゴールドコーストから帰って来た私達家族は、早速引越しを開始した。

何しろ、我が家は生活のやりくりが厳しいので、引越し業者を頼むことなどできない。

他人の引越しは率先して手伝いに行く夫は、頼めば手伝いに来てくれる友人が大勢いるというのに、全部自分でやると言う。

我が家には、通常の家庭の軽く2倍近い量の物がある。家具や電化製品などは普通であるけれども、ホームオフィスのデスクやキャビネットをはじめとする家具&事務用機器道具が山のようにある。

持っている書籍類の数も普通ではない。友人が「本を買うのを止めれば家が建つ」と冷やかすのも納得の数量の本が山のようにある。

ガレージには、夫の木工用の電動工具&道具類をはじめ、庭仕事用のチェーンソー、ガーデニング用の電気道具各種、シャベルにつるはしに斧にノコギリ多数に鉄の棒に、板に材木にシートにロープに...、ああもう気が遠くなるほどの量の物がある。

私のデスクは常に整理されているので、荷造りも簡単だしデスクの分解も簡単にできるが、夫のデスクや仕事用の持ち物は「ゴミ屋敷状態」であるから、一体どうやって荷造りするのか心配だ。まさか、結局私にやらせるのではないだろうな...と不安。

今週末と次の週末で運び切らなければならない。

平日は、夫は仕事だから重い家具などはとても運べない。今週はまだ学校が休みだから、子供達の力を借りて、私のカローラで少しずつ運べるものを運んでいくしかない。

現在住んでいる家から引っ越す家は、車で5分ほどである。とにかく少しずつせっせと運ぶしかないのだ。

でもですね、昨日今日と作業をしながら気づいたのですけど、来月16歳になる息子のカイがいつの間にか随分力持ちになっており、でっかい本棚を一人でヒョイとかついで運んだりしているのですよ。

「さすが男!たくましいじゃん!」と、ちょっぴり誇らしい気分の母なのでした。

ところが私は、ホント役に立たない!トレーラーを牽引して運転することはできないし、夫の仕事用のバンを運転するのもあまりに下手すぎてストップがかかり、やっぱり腰痛がですねえ、すぐにひどくなるものだから、荷物運びもできない。

だから荷造り専門!
食事の準備専門!
そうじ専門!

それでも、もう今日は腰が限界を超えている!子供たちが結構頼りになるので助かった...。


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2012年9月29日

サプライズいっぱいのゴールドコースト

夏のゴールドコーストから冬のメルボルンへ帰ってきた。

今回のゴールドコースト旅行は、義妹リアナから私達家族へのプレゼントだったのだが、滞在したアパートというのがサーファーズパラダイスから少し南に外れた所で、まさにビーチに建つこじんまりとしたマンション風。ベッドルーム2つの大変エレガントな美しいアパートだった。

私達家族の部屋は7階にあり、すべての部屋がビーチに面しているので一日中美しい海を眺められるのだった。夢見たいな一週間だった。

到着した日のバルコニーからの眺め

到着早々、目の前の海で何かが跳ねた。

「ああっ、クジラだ!あそこっ!クジラが跳ねてる!」

クジラを見るというのは、この旅行でしたいことの一つだったので、到着早々その夢がかなったのだった。

サプライズいっぱいの一週間だったが、最大のサプライズは、

義母が付いて来たことと、この旅行中ずっと我々と一緒だったことだ!

義母のことは、昨年のクリスマスのエピーソードでも紹介したのだが、彼女は今回私達家族のためにレンタカー料金とテーマパークのチケット代を払ってくれると聞いていた。「なんて気前がいいのだろう、ありがたいことだ」と思っていたのは私だけではない。まさか、ずっと一緒について来るとは誰も知らなかった。

この旅行は、私達家族と義妹リアナ5人だけの楽しい旅行になるはずであったのだ。みんなそう思っていたのだ。

義母は、前のエピソードでも書いたが、長年学校の先生をしていたから、何事につけても「指導」せずにはいられない。さらにあらゆることについて「こうあるべき」「こうするべき」という確固たる考えを持っているので、自分の考えに沿った行動をとらない人に対しては、その指導は厳しさを増す。

食品の買い物一つにしても、私がサラダ用の野菜がミックスされてドレッシングも入っている袋を買おうとすると、「そういうのは割高である!野菜はバラで買うのが最も安いのだ!」と指摘する。

丸ごとのレタス、ジャガイモ2キロ入り袋、トマトソース1瓶、スライスチーズお徳用特大パック...と、彼女は旅行に来ているとは思えない普通の買い物をしようとする。しかも、あまりにも大量の食品を買い込むので、私が「こんなにたくさん買うと食べ切れなくて無駄になる」と反論すると、平気な顔でこう答えた。

「大丈夫よ!余ったものはトニーの所へ持って行くのだから」

トニーというのは彼女のボーイフレンドの息子だ。ゴールドコーストから高速道路で1時間ちょっとの街に住んでいる。この旅行中、そのボーイフレンドは息子の家に滞在しており、最終日に我々全員がその息子のトニーの家に行ってバーべキューをおこない、彼女はボーイフレンドとそこで合流するという手はずであった。

もちろんそんなことは誰も知らなかった。

旅行中のアクティビティーも彼女はチケットを手配済みであり、我々はそれをどの順序で行うか、そこのところだけは自由なのだった。

彼女は、そういう人だ。

何事も手配根回しが重要であり、しっかりと予定を立ててせっかくの時間を無駄にしないようにテキパキと行動することが肝要なのである。

我々は気落ちし「何でこんなことになってるんだ...」と落胆したが、うれしそうな義母には誰も反抗できず、興奮して大声ではしゃぎ続ける彼女に順応するしかなかったのだった。

しかし、無理して我慢しているんだから、フラストレーションが次第に高まって行くのは避けられない。3日目の午後には我々と義理母の間にギクシャクとした険悪ムードが漂い始めた。

ああ、ここから後のことを書くと、このブログはさらに何ページも必要となってしまうので、もうここで止めることにする。

結局は、我々が彼女の期待したとおりにボーイフレンドの息子の家でバーベキューをして、彼女のご機嫌が直り、彼女のボーイフレンドもハッピーで、全員が何とか気持ちよく旅行を終えることができた。そうならなかった可能性も大きかったのだから、まあよかったよかった。

それにしても、義妹のリアナには本当に感謝してもしきれない。生活に困窮していた私達を救い、さらにこんなプレゼントをくれるとは。

本当にありがとうね、リアナ。

朝早く、散歩する夫と子供達
まだ全員ご機嫌の2日目、ムービーワールドで

屋上にあるスパで6年ぶりのお風呂気分
シュノーケリングが得意のカイ
乗り物を楽しむカイとサチ
スリル満点のトルネード
私は、バルコニーでシャンペン飲みながら
こういう景色を眺めてる時が最高!


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2012年9月21日

ティム・バートンとゴス

娘のサチは、数年前ティム・バートンの映画にすっかりはまって、それ以来好みが変わってしまった。

中でも、「シザーハンズ Edward Scissorhands」「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス The Nightmare Before Christmas」「コープス・ブライド Corpse Bride」の3つの映画が彼女に徹底的な影響を与えたと思う。

それまで好きだった「ピンク、エレガント、プリティ系」から「ブラック、ゴス、ダーク系」に好みが劇的に変わり、部屋の中からバービー人形が消え、ジャック・スケリントンやスケリントンのGFサリーやお化けや黒や紫のアイテムに取って代わられた。

ティム・バートンとジャック・スケリントン&サリー
映画「コープス・ブライド」

ハロウィーンの日にサリーやコープス・ブライドに仮装していたうちは良かったのだが、NCISというTVドラマのアビーを崇敬するようになってからは、ゴス系ダークファッションへの傾倒がどんどん進んでいった。

NCISの科学捜査分析官アビー

上の写真がTVドラマ「NCIS」に登場する分析官のアビー。非常に個性的で、ゴス(ロリ)系ファッションの外見からはちょっと想像しにくいほどに分析官としては優秀かつ聡明!プロフェッショナルな女性です。この人に「カッコイイ!」と憧れちゃったんですねえ、うちのサチ。

おかげで、学校のお勉強に並々ならぬやる気を見せるようになり、いつ勉強しているのかは知らないが大変に良い成績をとるようになった。アビーのように優秀になり、良い仕事に就こうと考えているのは親として好ましく思うのだが...。

ファッションが...サチが着る服が...ですねぇ、真っ黒ダークなゴス系で、腕や首に上写真のような黒レザー&メタルのアクセサリーを着け、目の周りに黒いアイラインを引いたりして、ちょっとありえないほど個性的になってきているのです。まだ13歳なのに。

今日は、学校が3学期の最終日で、「フリー・ドレス・デー」といって好きなものを着てきて良い日だったらしく、黒トップ、黒パンツ、黒ジャケット、黒ブーツに黒レザー&メタルの首輪と腕輪、そしてへびだかドラゴンだかのヘビメタ調特大耳飾りを着けて学校へ行った。

絶句.........。

お母さん、鼻輪やタトゥーは許さないからね!


追伸
私の腐ったプチトマト化していた左目ですが、白目が白くなってきました。まだ少し痛みは残っていて腫れているけど、元の状態に戻るのは時間の問題でありましょう。皆さんにはご心配をおかけしました。




2012年9月19日

視力が劇的に落ちて...

私の左目は、ほぼ90パーセントは開いたんですけど、中の状態は良くなっていません。赤いゼリー状に脹らんだ白目とこれまたゼリー状の透明な目ヤニのせいで、左目ではほとんど物が見えない状態となっております。

右目はもともと乱視と老眼でぼやけているので、現在私の視界は完全にぼんやり!

Windows7についている Magnifierという画面を拡大してくれるソフトのおかげで何とかこれを書いてますけど、このソフトを使う日が来るとはねえ...。

という理由で、今日はお休みです。

古い記事でも読んで行ってくださいね。


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2012年9月18日

腐りかけのプチトマト化した左目

今朝、「まるでターミネーターじゃん」などと笑っていた私の左目は、次第に痛みが増すとともに赤い濡れ濡れと光るしぼんだ風船のようになって、私はだんだん心配になった。

瞬きするたびにチクリチクリと刺すように痛い。

そのうち、ものがボーっとぼやけてまともに見えなくなった。

鏡でおそるおそる見てみると、左目は腐りかけのジュクジュクしたプチトマトのよう!

すぐにヒル先生に診てもらおうとクリニックに電話を入れると、ヒル先生は明後日まで予約が詰まっていて今日は無理だと言われた。

「もう誰でもいいです!緊急事態なんです!」

それならすぐ来いということであったので、私は大急ぎで出かけた。

診て下さったのは、そのクリニックでは見かけたことのないS医師。かなりのおじいさん医師であった。

S医師は、アレルギーではないと言う。片目だけがそのようにひどい状態になっているのは、アレルギーにしてはおかしいと言うのだ。そして、専門医に診てもらうことを勧めた。

S医師は、早速Ringwoodの眼科専門のクリニックに電話を入れて診察の手配をしてくれた。

しばらくして、その眼科専門のクリニックから電話があり、キャンセルが出たからと予約の時間を2時間前倒しにしてくれた。偶然仕事から帰って来た夫が一緒に行くと言ってくれたので二人で出かけた。

さて、眼科の専門医の診察の結果は...といいますとですねえ、アレルギーとしか考えられないんですって!

やっぱり、アレルギー!

アレルギー症状としては非常に重篤であるけれども、深刻な問題とも考えられない。
抗ヒスタミン薬を飲んでいれば、2~3日で白目の水ぶくれ状態は改善するはずであるし、瞼の腫れや痛みも良くなるはずだと...。

そして...

庭仕事や草取りは危険だから、充分に注意して、目や顔や手を保護するものを使うようにと言うのだった。

そこまでして草取りをしたいとは思いません、私!

数年前、アレルゲンを特定するための皮膚テストをした時に、反応のすごさに医者も驚いたことがあるけど、年々ひどくなってきた私のアレルギー。本当に苦労しますよ...。

あなたは、こんな姿で外出する勇気があるか?


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ターミネーターとヘルペス

美しい雲海の広がる朝は、新たな不幸で始まった...。

Ringwood Northのさらに北に広がる雲海

抗ヒスタミン薬のおかげで、80パーセントほどは腫れがひいた私の左目。まだ赤く腫れてはいるのだが、やっと目が開いた。

左目がどの程度良くなったか心配なものだから、朝起きてバスルームに直行。

確かに、まぶたの腫れがかなりひいて、目が開いている。開いたから中の状態が良く見える。

「こりゃ、まるでターミネーターじゃん」

そう、まさにこういう顔になっているのですよ。


怖いでしょ?

昨夜は、さすがに不安なものだからいろいろ調べてみました。やっぱりこれってアレルギー症状のようです。

この黒目の周りを覆いつくす赤いゼリー状のものは「結膜浮腫」と呼ばれるもので、白目の表面にある結膜という透明な膜が何らかの原因で下に水がたまってむくんだ状態なんだそうな。

たいていは少しすると自然にひいて行くものだけれども、私の場合はこれがまっ赤っかだし、痛みが結構あるので結膜の炎症も疑われる。

「あーぁ、ぜんぜん良くなってないじゃない...」

がっかりしてため息をついたその時、鼻の穴に痛みが!

まさか...、と思ったらその「まさか」だった。

左の鼻の穴の出口にペルペスが出てる。

そんな...

今週でヴィクトリア州の公立校は、3学期が終わり春休みとなる。週末から、私達家族はゴールドコーストへ旅行なのに。

このターミネーターの目と鼻の穴のペルペス、

早く治って…


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2012年9月17日

泣きっ面にスズメバチ

なんで、こうも次々と不幸に見舞われるのか...。

昨日の午後、不要になった植木鉢やガーデニング道具などを片付け、ついでに草取りをしたり家周りの掃除をした。やっているうちにくしゃみが出始めて目が痒くなったので、作業を途中やめにして家の中に入った。

思い当たる原因は、それしかない!

しばらくして瞼がチクチクと痛くなり、昨晩ブログにデル・ピエロのことを書いている間にも痛みがひどくなって涙が止まらなくなり、まだ9時過ぎだというのにさっさと寝てしまった。

そして、今朝のことだ。

夜中に目が覚めたときにも目の状態がおかしいとは気づいていたが、今朝6時前、起きて電気をつけて自分の顔を見たら腰が抜けた。

「うっわぁー、すごいことになってる!」

チクチク痛かった左目の周り全体が、「試合後のボクサー」状態である。赤く腫れている、というよりも赤く盛り上がっている、という感じか。

目やにが固まって瞼がはりつき、目を開けることが困難である。

そっとぬるま湯で洗ってみたが、目はほとんど自力で開かない。

中を見ると、眼球はもちろん赤く充血しているが、眼球をピンクのジェリー状のものが覆っている。かろうじて黒目のところだけは助かっている。

痛みや痒さの感じでは「結膜炎」か「ものもらい」かとも思ったが、そのジェリー状態はまさに花粉症でアレルギー症状を起こした時と同じだ。

「ちょっとぉ!オバケみたいな目になってるよぉ!」と、夫に顔を見せた。彼は、「うわっ!殴られたみたいだなあ...」と、私と同じ感想を述べるのであった。

起きて、夫や子供たちのランチを作っている間も、涙だか目ヤニだか知らないがひっきりなしに出る。夫はアレルギー症状のようだから抗ヒスタミン目薬を使ってみろと勧めるのだが、アレルギーならチクチク痛いというのはどういう理由だ?

家庭医のヒル先生に診てもらおうかと思った。オーストラリアでGP(ゴールキーパーではない、General Practitionerの略)と呼ばれる一般開業医は何でも屋であるから、目でも腰痛でも取り合えず診てもらうのはGPなのだが、私が行ったところは眼鏡屋さん。

近くのEastlandというショッピングセンターにはいくつも眼鏡屋さんがある。眼鏡屋さんには眼科医がいる。通常は予約をしてから行くところだが、私は朝一番に予約無しで行った。

...というのはやや事実とは異なる。

本当のことを正直に言うと、ショッピングセンターの薬屋に目薬を買いに行ったら、私の目の状態があまりにひどいので、自己診断せずに医者に診てもらえと言われ、その薬屋のすぐ近くの眼鏡屋に行ったというしだいです。

眼鏡屋ではすぐに診てもらえた。懇切丁寧に、眼球圧から眼球の奥のMacularという黄斑(おうはん)のチェック、異物やキズの有無としっかり調べてもらった。

何も問題なし!
傷もないし、もしかしたらウイルス性の炎症があるかもしれないが可能性は低い。
一番可能性が大きいのは、アレルギー症状であるとのことだった。

やっぱり!

腰痛に加え、左手親指を負傷し、今度は殴られたように腫れ上がった左目!スズメバチに刺されたらこれくらいは腫れるかもしれないな。

眼科医からは、アレルギー用の抗ヒスタミン薬を飲むように勧められたので、家に帰ってすぐ飲んだ。そしたらなんと、現在腫れがひいてきております。ああ、やっぱりアレルギーだったのか!

もうっ、オーストラリアの春、キライ!


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2012年9月16日

デル・ピエロがやって来た!

長年セリエAのユヴェントスでプレーし、クラブ歴代最多得点記録を持つ偉大なスーパープレーヤーのアレッサンドロ・デル・ピエロが、ついにシドニーにやって来た。

シドニーFCへの移籍が発表されて以来、夢にまで見て彼の来豪を心待ちにしていたシドニーFCサポーター、ユヴェントスサポーター、サッカーファン、デル・ピエロのファン、その他とにかくすごい数のおじちゃん&お兄ちゃんたちが、シドニー空港国際線ターミナルに大挙して押しかけた。

今夜のニュースで一番微笑ましかったのが、このニュースだ。

ニュースで見た感じでは、集まった群集の99パーセント以上が男!ほとんどがイタリア系のようである。熱狂的に彼を出迎え大歓迎する彼らに、笑顔で応じるデル・ピエロ。

頭が禿げ上がった小太りのおじさんが、興奮のあまりデル・ピエロをつかんで引き寄せ、(だってフェンスがあっておじさんはそれ以上近寄れないので)、デル・ピエロの顔を両手ではさんでキスをする!抱きつく!デル・ピエロの笑顔がさらにはじけた瞬間だった。

TVニュースの映像より

最近人気が下降気味のオーストラリアのAリーグ。人気復活への期待が彼の肩にかかる!

2011年、プレミアリーグのリヴァプールでプレーしたオーストラリア人選手のハリー・キューウェルがメルボルン・ヴィクトリーというチームに移籍して話題になったのだが、Aリーグ人気は下降を続けている。

私が思うに、Aリーグのサッカーは見ていて面白くない。スター選手がいないというのもある。全体的にレベルが低いのか興奮させられるようなプレーがない。そして、若い世代が伸びてきていない。

オーストラリアの代表チーム「サッカールー」を見てみれば分かるが、主力選手は30代、GPのシュワルツァーは今年40歳だ。

Aリーグ復活のためにも、オーストラリアサッカーの将来のためにも、デル・ピエロにはホントに期待しています。ゲームを見に行きたいと思わせるカリズマが彼にはあるんだし、サッカーを楽しくてエキサイティングなものにしてもらいたい。まあ、この熱狂ぶりを見ると、とりあえず観客数が増えるのは確実かな。

インタビューを聞くと、現在37歳のデル・ピエロ自身も、サッカー選手としてのキャリア最後のチャレンジとよく理解しているようだ。

「デル・ピエロ、年取ったけど相変わらずカッコいいよ...」


ふふふ、私...隠れサッカーファンだったんです!

あなたも?


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2012年9月15日

VCE日本語コース

VCEで日本語をやりたいと言う息子のカイと娘のサチのために、Victorian School of Languagesという学校に問い合わせ、Ringwoodからもっとも近いBlackburn教室へ行ってきた。

日本語のコースは、建て直し工事の進むBlackburn High Schoolの新しいランゲージセンターで土曜日に授業が行われている。

授業が行われている教室

Blackburn以外では、Glen Waverley、Geelong、Parkville、Wodonga、Hampton Park、Brentwoodに教室があるようである。近くに教室がない場合は、Distance Education通信教育という手段もある。

ヴィクトリア州以外の事情は良く分からないが、同様の外国語学校があるはずだ。

息子と娘は、午前中の授業を見学した。カイの方は先生から与えられた筆記の課題に取り組んだようだ。そして、先生からは、二人とも聞き取りと会話には問題はないが、読み書きが大きな課題であるから、来年11年生のカイは11年生のVCEクラス、来年9年生のサチは9&10年生クラスへの入学を勧められた。

今年は、残りの授業数がわずかなので、先生のおっしゃるとおり来年のスタートから始めることにした。

11年生クラスの担当は、日本語が大変流暢な中国系の先生だったが、他のクラスを見てみると日本人の先生やオーストラリア人の先生やいろいろであった。小学生クラスの授業も行われていた。

心配だった授業料だが、Victorian School of Languagesは公立学校であるから公立ハイスクールと同じだろうと先生はおっしゃった。ウェブサイトには、1年生から10年生のクラスは$70、VCEは$85と書いてある。まあ、これならば苦しいやりくりが続く私達家族でも払える費用だ。

問い合わせ先はこちら


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2012年9月14日

お葬式

お葬式が楽しかったと言ったら語弊があるが、亡くなった人の人生を祝福し、その人の人柄を良くなかったところも含めて面白おかしく懐かしみ、笑い、そして泣き、見送った後は美味しいものを一杯食べて、終わった後に気持ちの良いお葬式というのは初めてだった。

先週亡くなった夫の友人のお葬式である。

最前列には、亡くなった友人そっくりの男性が座っていた。後姿は、まさに瓜ふたつで、それが彼の息子であることは一目で分かる。そして、その横には今年亡くなった彼の妻にそっくりな女性が座っていた。長年音信不通となっていた彼の二人の子ども達だ。

私の夫の追悼のスピーチが素晴らしかった。多くのエピソードを交えて亡くなった友人について語った。集まった大勢の人達に彼のことを思い出させ、笑いと涙にあふれた素晴らしいユーロジーだったと思う。

途中何度も涙をぬぐっていた彼の二人の子ども達は、スライドショーが始まると声を上げて泣き崩れ、私はもらい泣きした。

何が原因で何年も音信不通になっていたのか、何が原因で最後まで父親に会いにも来なかったのか、私は知らない。

しかし、葬儀での二人の様子から感じるのだが、何が原因だったにせよ、おそらく深く後悔することになるのではなかろうか...。

亡くなった友人は、ネグレクトと虐待の子供時代だったと聞いた。母親から愛されなかった彼は、妻を心の底から愛していた。その最愛の妻が若年性痴呆症を患って若くして記憶をなくし、廃人同様になって亡くなったのは数ヶ月前のこと。

愛する妻の後を追うように亡くなった友人。天国で彼女に再会し、うれしそうに微笑んでいる様子が目に見えるようだ。

葬儀は、Church Of Christという教会で行われたのだが、私がこれまで訪れたことのある教会の中で最もリラックスした教会であり、何もかも感じがよかった。牧師の話もユーモアにあふれていて笑いを取りながら、思わず亡くなった友人の冥福を祈らずにはいられないような厳かな話で結んだところが素晴らしく、拍手を送りたい気分だった。


棺が運び出され、出棺の時、それぞれの家族に抱きかかえられるようにして最後の別れをする友人の息子と娘の泣き顔を見て、最後まで和解できなかった彼ら親子に同情を覚えずにはいられなかった。

長い介護と看病、そして葬儀の準備と、全力で友人を支えた私の夫もよく頑張ったなと思う。ちょっと誇りに思うよ...。


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2012年9月13日

バイリンガル子育てとVCE

夫は日本語が話せるが、知り合った頃の彼の日本語は教科書ニホンゴであった。

「おはようございます」「~ですか?」「~しましょう」と、です・ます式に話すからとても堅苦しかったものだが、そのうち私の日本語の影響を受けてやや女性的な岡山弁の混じった日本語を話すようになった。

息子と娘が生まれ、私達は子ども達をバイリンガルにするために家の中では日本語を使おうと努めたのだが、やはり夫はついつい英語になるし、チャイルドケアに預けていたので子ども達の生活はほぼ英語の世界であった。

だから、幼い頃は、日本語を聞いて理解はするが話すことはかなり困難で、実にたどたどしく片言話せる程度であった。

そこで、せっせと日本のアニメを見せた。ドラえもんやアンパンマンが日本語の先生になった。

劇的に日本語が上達したのは、やはり日本に住んだ時だ。

日本の幼稚園に通い始め、2週間目から日本語をペラペラしゃべるようになった。同時に、今度は英語の方があやしくなっていった。

「これはいけない!家の中では英語を話すようにしよう!」

ところが、私はついつい日本語になるし、幼稚園に行っていたので生活はほぼ日本語の世界。子ども達の英語は、聞いて理解はするが話すのがたどたどしくなっていき、時々オーストラリアから義母が電話してきてもろくにしゃべれないというようなことになってしまった。

その後、オーストラリアに戻り、再び英語の方がメインになった頃、また日本にしばらく住んだ。今度は小学校に行ったので、本格的に日本語がメインになって、話すだけでなく読み書きまで劇的に上達した。

カイ3年生、サチ1年生

そして、またまたオーストラリアに戻ってきてからもう6年になる。

オーストラリアの小学校に戻り、ハイスクールに進み、どっぷり英語の世界に6年である。

現在の彼らですか?

もちろん、日本語なんてめったに話しません。

私が話す日本語に英語で返してくるし、彼ら同士はほぼ100%英語!時々、日本語の単語が混じっているけれど...。

しかし、私の日本語やアニメや映画の日本語はバッチリ理解しているし、話そうとすればまだ話せる。発音に関してはほぼネイティブレベル。

来年11年生で、いよいよ本格的にVCEが始まる息子のカイは、日本語のコースをやりたいと言い出した。そうしたら、娘のサチも日本語をやりたいと言う。ハイスク-ルではフランス語を学習してきて、特にサチの方はフランス語の成績も良いのだが、VCEでは日本語の方がもっと良いポイントが期待できるからフランス語はやめたいのだそうだ。

二人が通うハイスクールでは日本語を教えていないので、「Victorian School of Languages」という学校に問い合わせてみた。

Ringwoodから最も近い教室はBlackburnにあって、他の生徒と一緒に日本語を学習できるらしい。入るクラスを決めるために、今度の土曜日に日本語レベルチェックをしてもらいに行くことになった。

「Victorian School of Languages」については、また土曜日に報告します。


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2012年9月12日

泣きっ面にハチ

家の中が一気に箱だらけとなってきている。

引越しが10月1日からと決まったのだが、引越し直前の1週間はゴールドコーストに行くことになり時間があまりない。今から荷造りをしておく必要があるのだ。

ああ、言っときますけど、我が家にゴールドコーストへホリデーに行くような余裕はございません。これ、夫の妹リアナから私達家族へのプレゼントなのです。すごいですねえ、彼女の経済力と気前の良さ!

それはともかく、私の持ち物とキッチンや洗濯掃除関係の物は簡単に片付く。箱や袋に詰めたらおしまいだから。

ところが、そうは行かないのが夫と子供たちの部屋にある物。普段から整理整頓掃除を怠っているブタ小屋状態の彼らの部屋は、まずゴミや不要な物を捨てるという作業から始めなければならない。

長い間行方不明だった書類や写真やその他諸々が見つかるのは良いのだが、大量のゴミや不要物のせいであっという間にゴミ出し用の蓋付き大型ゴミ容器が一杯になって通常のゴミが入らなくなった。リサイクルゴミ容器の方も一杯である。

息子の部屋から出たティッシュの空き箱は、積み重ねると私の身長ほどもあった。

彼らのせいで居間もキッチンもあっという間にゴミ屋敷状態と化した。

腰が痛くて思うように働けない私のイライラはつのる。

そして、昨日の午後のことだ。

キッチンを片付けていたら端が欠けた皿のせいで左手の親指が切れた。

「いつの間にぃ...!だからお皿は丁寧に扱えと言ってるのに!」
皿がかけているのも、指が切れたのも、全部彼らのせいである。

「こんな皿、もう危なくて使えない!もう捨てる!」

ゴミ容器に入れようとしたら、ゴミ容器は満杯状態だし、腹も立っていたし、私は何を思ったかその皿を真っ二つに割りたくなった。

「エイッ!」

ところが、お皿ってそんなに簡単には割れない。

私は、ゴミ容器を置いている場所にあった岩に皿を打ちつけてみた。それでも割れない!

「クソッ!割れろ!」

再度皿を岩に強く打ちつけた。

すると、皿は私が期待したようにパックリと二つには割れず、予期しなかった4~5片の鋭利にとがった状態に割れた。

「痛っ!」と思った時にはもう遅い。

さっき、その皿のせいで切れた左の親指が、今度はごっそり掘りえぐられている。たちまち大量の流血!ドクドクとした痛み!

「こりゃ縫わなくちゃダメかも...」とも思ったが、取り合えず痛みに歯を食いしばりながら消毒して包帯材で止血した。

こういうのを「泣きっ面にハチ」と言うのだよ。

こうして、私は、腰痛に加え左手親指の負傷でますますできることが限られて、引越しの準備が滞ることになったのであります。ああ...。



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2012年9月11日

引越しと春菊

先日、賃貸の申し込みをした家賃の安い家に引っ越すことが決まった。

引越し続きの私達家族にとって11回目の引越しであるから、荷造りや手続きいろいろには慣れっこなので心配することは何もない。今回は、早く家賃が安い家に引っ越さなくてはならないと何ヶ月も考えていたわけだからなおさらである。

しかし、心残りが一つだけ...。

それは、元気に育ち続ける「私の春菊」であります。

私は、ABCのTV番組「ガーデニング・オーストラリア」に触発されて花や野菜を育て始めたものの、なにしろ住んでいる家が借家なので、引っ越すたびにせっかく育てた花や野菜の失う羽目になった。

今回は、引越し先に持っていけると思っていた四角い箱型の野菜畑を作ったのだが、夫に畑の移築を相談したところ、返事は「無理!」の一言であった。

引越し業者を頼むことなど我が家の経済状態では不可能なので、夫は自分で家具から何から全部運ぶつもりらしい。仕事から帰って夜にやると言っている。今住んでいる家と引っ越す家の賃貸契約を1週間クロスオーバーしてあるので、1週間あれば何とかやれると言うのだが...。

腰痛がこんなにひどくては、私は自分では何もできない。

ああぁ、また野菜畑を失うことになるのか...。

私の野菜畑は、実は4つもあって、1つはハーブ類とネギの畑。1つはイチゴだけ。1つは休眠状態。そしてもう1つの一番大きい畑に「私の春菊」が育っているのだ。

昨晩は、先日間引いたベイビー春菊の残りを鶏肉と一緒にゴママヨ和えにした。これが大変美味だった。こういうのを食べたい時に食べられるというのが、自分で野菜を育てる醍醐味でもあるのだが、間引いた後に太く大きく育った春菊で鍋をするというのは無理な話になった。

春菊と鶏肉のゴママヨ和え
ハーブやイチゴは、次にこの家に住む人達もありがたがるだろうが、春菊はどうか...?春菊のことを「Edible Chrysanthemum 食べられる菊」と説明しても、Chrysanthemumという植物すらよく知らない人もいるのに、この野菜をありがたがって食べるオーストラリア人は多くはなかろう。

レタスか何かを植えるために引っこ抜かれてしまうに決まっている。

残して行くのは無駄なことだ。これはもう、引越しまでに食べ切るしかない!


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2012年9月10日

しゃべりすぎるレジ係

食品の買い物だが、卵を買う必要がある場合は、私達家族にとっての「こだわりの卵」を売っているRingwood NorthのRitchiesに行く。


店内の大改装をして、最近素敵なスーパーに変身した。しかし、お店はきれいになっても、働いている人は同じ。このスーパーで夕方や週末にパートで働いている若い女の子の店員達は、全くひどい!

客にろくに挨拶もせず、店員同士のおしゃべりに夢中で、レジで商品の値段をスキャンする手が遅いというよりも手がしょっちゅう止まる!
「早くしてよっ!」と、心の中で怒りの声をあげる私。もうちょっと度胸があったら、客に対するその失礼な態度を注意してやるのに!

そして、彼女達は、支払いを済ませたお客に「ありがとうございました」などとは決して言わない。時には、お客であるこちらの方が「Thank you」と言い、店員である彼女達は「That's OK」などと、ふざけた事を言うのである。

だから、「こだわりの卵」が買いたい時は仕方なくRitchiesに行くが、常識のあるおばちゃんたちが働いている平日の昼間に行くのがよい。

まとまった量の食品を買う場合は、いつも近くのColesに行く。


Colesで働く若者達は、まず例外なく大変態度がよい。問題はおばちゃんの方である。

EasltalndのColesには、私の苦手とするおばちゃん達がいる。おばちゃんといっても、きっと私と同じくらいの年齢がもしかしたら私よりも若いかもしれない。

なぜそのおばちゃん店員達が苦手かと言うとしゃべりすぎるからだ。毎日、レジをやりながら客とおしゃべりをするのを楽しみにしているとしか思えないほど、もうむやみにとにかくしゃべる。

相手をしないでいれば、そのうちしゃべらなくなってはくるのだが、そこはやはり私のように臆病で相手の気分を害してしまうことを恐れる性格の者は、話しかけられれば応じないわけにはいかないのだ。

彼女達はフレンドリーを通りこしている。おしゃべりに熱が入ってくればもちろん手の動きは鈍るし、しばしば止まってしまう。
「早くしてよっ!」と、心の中で怒りの声をあげる私。

まあね、長年通い続けていれば、避けた方が良いおしゃべりレジ係を知っているので、私は感じの良い賢そうな若者達のレジへ並ぶようにしている。

でも、今日の若いレジ係はハズレだった。鼻に金色の輪をつけたその子は、とてつもないおしゃべりだった。

日本のスーパーの「ロボットみたいなレジ係」も嫌だけど、プロ意識のないリラックスしすぎのレジ係というのも困るのである。


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2012年9月9日

春菊のその後

私の春菊は、その後ぐんぐんと大きくなってきたように見えたのだが、よく見てみるとヒョロヒョロと細く長くなり始めてていた。

びっしりと隙間なく生えているのが災いしてお日さまが十分に当たらず、太く大きくなれないのだ。

やはり間引かなければなりません。

腰が痛いのでねえ、あんまり畑仕事はやらない方がいいのだけど、このままではモヤシのようにヒョロヒョロになってしまうのは目に見えているわけだし...。

そこで、腰に注意しながら間引き作業を開始!ところが1列だけ間引いたところで、遠慮がちに間引いたというのに採れたベイビー春菊はボウルに山盛りのせても入りきらない大量!

1列だけ間引いてこのボウル2杯分採れた

一度に全部やると無駄になると思い、1列で間引き作業は中止した。

午後から友人宅にBBQに行くことになっていたので、手土産の一つとして間引いた春菊を持参。このご夫婦は、ご主人の方が埼玉県出身の日本人で、和食を食べたい時には自分で料理をするという人。オーストラリア人の奥様の方も、ハーブとか匂いの強い野菜が大好き。

早速すでに準備してあったグリーンサラダにベイビー春菊を投入!

食べていると、レタスやきゅうりなど味に特徴のない野菜に混じって、ベビー春菊が「おおぉ!」というアクセントになり、BBQしたラム肉やソーセージにも良く合って、大変おいしくいただけた!

何年ぶりかで味わう春菊だった。

さて、間引いたベイビー春菊の残りがまだボウルに一杯ある。これは、今晩ごま和えと味噌汁にしようと思う。

残りは3列!それを間引いた後、太く大きく育ってくれたら、いよいよ次は鍋だな...。

これからしばらく食べ続けられそうだ。


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2012年9月7日

「尊厳死」で逝った

末期がんで食べ物を口から摂取することが不可能になり、日に日にやせ衰えて体力を無くしていった夫の友人が、昨晩亡くなった。

彼が、最愛の妻を若年性痴呆症でなくし、子ども達家族との付き合いがなく、二人の親しい友人以外に頼れる人がいないという話は、先日「尊厳死を考える」という記事に書いた。

その二人の友人のうち一人は、先月より海外旅行中である。もう一人の友人というのが私の夫だ。

最期を看取ったのは、私の夫と、夫から連絡を受けても会いに来ようとしなかった彼の息子の妻の二人だった。

夫の友人は、数日前から耐え難い痛みに苦しんでいた。自宅にいたいという彼の希望をかなえるために、夫は朝晩彼の面倒を見てきた。度々、激しい痛みのために病院に担ぎ込むこともあったが、治療を受けて痛みがおさまればまた彼の家につれて帰り、必要な時には彼の家に泊まりこみ、朝自宅に戻ってシャワーを浴びて仕事に出るという生活だった。

しかし、そのような看病の仕方は限界を迎えた。終末期医療ケアの病院へ行くしかないと話し合い、夫は仕事を休んで彼を病院に連れて行った。

その病院に素晴らしい医師がいたのだ。

この医師は、終末期の患者が尊厳死を望む場合、法律にふれるぎりぎりのところでリスクを覚悟で患者と家族を援助することを使命と考えている。

夫の友人は、激しい痛みのためにモルヒネを投与され、意識を失いながら植物状態となって死を待つということを嫌がった。人間としての尊厳を保ちながら安らかに逝きたいと希望していた。

医師がどのような援助をしたのか、私は知らない。

しかし、昨日、彼は痛みを感じないけれども意識はあってコミュニケーションは取れるという状態であった。朝、夫は彼と話し合い、知人や関係者に「今日なら彼に会いに来てもよい」と連絡し、彼と最後になるかもしれない言葉を交わし、握手をして仕事に出た。

夕方、仕事を終えて病院に駆けつけると、病室では彼の妹が来て付き添っており、彼はすでに意識を失いかけていたが、その日、チャリティー活動を通して知り合った人達や昨年まで教えていた学校の関係者が数多く訪れて、彼と最後の挨拶を交わしたと知った。彼は、それらの人々とちゃんと話ができ、痛みもなく良い一日だったそうだ。

そして、彼の子ども達は結局誰も来なかったけれども、息子の妻が夕方訪れたのだった。

しばらくして、彼は眠った。

そして、大きく深い呼吸を繰り返し、その間隔が次第に長くなってゆき、6回目の深い呼吸の後、安らかな死が訪れた。

彼が望んでいたとおりの、安らかな死だった。

夫は家に帰って来て泣いた。

大切な友人を失った悲しみは大きかったけれども、その死に方には満足したと言った。あのように、安らかな死を迎えることができたこと、そしてそれを可能にしてくれた医師に感謝していた。

私のまぶたには、昨年私達家族が食べることにも苦労していた時期に、度々肉や果物を持って立ち寄ってくれた彼の笑顔が焼きついている...。


2012年9月6日

行ってみたいと思わせる「ツーリズムNZ」のウェブサイト

今朝、新聞サイトを読んでいたら、「ツーリズムNZ」の広告に目が留まった。ニュージーランド政府観光局の公式サイトへのバナー広告だった。

そこで、ちょっと見てみるかと思いクリックしたら、その観光局のウェブサイトに目を奪われた!これはもう本当に素晴らしい、政府観光局のウェブサイトとしては白眉であります。

私が使っているPCのモニターは大きいので、この「ツーリズムNZ」サイトのデザイン効果は抜群で、ワイドスクリーンに現れた美しい写真に目を奪われ、ダイナミックな動画に引き込まれ、思わず「いいなあ、行ってみたいなあ!」と思わせる。素晴らしいウェブサイトだ。

ツーリズムNZのサイトへ

私が見たのはオーストラリア人向けページなので、ページの上端に「Australia」と書かれている。そこをマウスオーバーすると様々な国名が国旗のアイコンつきで現れて言語を選択できるようになっており、日本語も選べる。

ニュージーランド、なかなかやるじゃないか!

そこで、オーストラリア政府観光局のサイトはどんな感じなのだろう、ずいぶん巨額の予算を投入してウェブサイトを作ったと聞いたが...と思い、見てみると...こんな感じ。

ツーリズムAUSのサイトへ

こちらも、右上のボタンから言語が選択できるようになっている。しかし、うう...ん、デザイン的には肝心のコンテンツが小さくてインパクトがないし、「おおっ、オーストラリア行ってみたい!」とは、全然思わないのである。

画像や映像の使い方が断然ニュージーランドの方が上手いのだ!

いやあ、行ってみたくなった!

メルボルンからニュージーランドは近いので、ぜひとも一度は行ってみたい!しっかり腰の筋肉を鍛えて、腰痛を克服しなくては!


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2012年9月5日

家賃の安い家を探して

度々ブログに書いてきたことだけれども、我が家の家計は大変に厳しい。

夫が就職して毎月決まった収入が期待できるようになってからは、その日その日をどうやって食べていくかというほどには困窮していないけれども、毎月ぎりぎりの状況でやりくりしている。

私は「うつ」のち「腰痛」でとても就職できる身体ではないので、まだ共稼ぎというわけにいかない。

夫は以前やっていた会社が破綻した後、結局個人破産を避けられなかったので、これから3年間は、現在勤めている会社から給料やボーナスを全額受け取ることができない。法律で決められた額以上の収入を得ることはできないのだ。

つまり、私が就職して稼ぎ始めない限りは、現在の厳しい家計は3年間続くのである。(だから、とにかく早く腰痛をなんとかしたいのだが...。)

我が家の家計を最も苦しめているのは、毎月2千ドル近いこの家の家賃だ。

月2千ドルという家賃は、メルボルンにおいては決して高いものではない。Ringwoodの街でも、私達家族が住む北のエリアでは、寝室数3つでそこそこきれいなガレージ付きの家ならば月2千ドルくらいは当たり前だ。

家賃の安い家に引っ越すしかないとずっと思っていたので、不動産サイトを時々チェックしていたところ、先日1軒の家を見つけた。

家賃が週当たり今住んでいる家よりも100ドル安く、子供達の通うハイスクールに歩いていける距離だからバス代も節約でき、エリア的にも静かで安全で、家自体も外から見た感じではこじんまりとしていて大変感じがよい。

心配は、サイトに掲載してある写真が、家の外の写真ばかりで家の中はこれ1枚しかないこと。家の中を写した写真が掲載されていないのは、まずあまり積極的に見せたくないからだ。

小さいキッチンには食器洗い機が見あたらない...

しかし、3年間の辛抱だ!
そう、3年間だけなら、どんなにボロの家でも何とか我慢できる!

月あたり400ドルも家賃が安いのだし、このエリアで、3寝室の家で、この家よりも安い物件はめったにお目にかかれない。

そこで、今日この家を見に行ってきたんです。

家の周りはきれいでした。裏庭もなかなか良い感じ。物置き小屋と作業小屋と鶏小屋と立派な物干しがあります。

肝心の家の中は、か...壁紙がですねえ、「ヴィクトリア時代のものか!」というくらいレトロ調ですが気にしません。カーペットも目が回りそうなんですけど、これも我慢できます。

キッチンが大変せまくて、ダイニングテーブルを置くスペースもありません。(今住んでいる人達は一体どこで食べているのだろう?)食器洗い機もやっぱりありませんでしたから、手で洗うしかない!

トイレも一つしかないから朝のラッシュが思いやられます。

でも、我が家に欠かすことができないホームオフィスを作れそうなスペースはあります。でっかいエアコンがついています。(これ重要!)

とにかく、場所は最高!仕事にも学校にもショッピングセンターにも近い!

だから、申し込みをすることにしました。私達以外に2家族が家を見に来ていたけど、さあどうなるか...。


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2012年9月4日

鮭ふりかけを作ってみた

子供たちが幼かった頃には、いつでもパントリーに常備していた「ふりかけ」という食品。

この「ふりかけ」という日本独特の食品は、やはりおいしいお米があって、そのお米で炊いたおいしいご飯を味わうという文化が背景にあってこその食べ物だとつくづく思う。

ご飯が美味しければ、息子のカイも娘のサチも、おかずなしでもおいしそうにご飯だけを食べるのだが、私にはそれはちょっと...。

近所のアジア食品店で手に入る日本食材の種類が最近ぐんと増えて、瓶入りの各種ふりかけが棚に並んでいるのを見たのだが、それらの「ふりかけ」商品が結構な値段がするものだから、買わなかった。

「ふりかけって自分で作れないの?」とサチがたずねた。

「作ったことないけど、作れるでしょう。市販品のように乾いた粉状というのは難しいかもしれないけど」と答えた私...。

パントリーを見るとColesの特売品の鮭缶があったので、子供たちが最も好む「鮭ふりかけ」というものを作ってみた。

1. 鮭缶の汁をよく切り、皮や骨を取り除いてしっかりした塩味をつける。
2. テフロン加工のフライパンで、パラパラの半乾燥状態になるまで鮭を炒ってフレーク状にする。
3. 同じくテフロン加工のフライパンに溶き卵を入れて細かい炒り卵を作る。半乾燥状態になるまでよく炒る。
4. 鮭のフレーク、炒り卵、炒りゴマを混ぜ合わせて完成。
5. 炊き立てのご飯に「鮭ふりかけ」をふりかけ、焼き海苔を小さくちぎって散らす。

鮭と卵にちゃんと塩をしたのに味が物足りなかったので少し醤油をたらしたら、劇的に美味しくなりました。

市販のふりかけは大量の塩が使用されていると実感!

このふりかけ、油ゼロ、塩適量、合成保存料などの添加物ゼロ!ああ、子供たちが幼かった頃に、どうしてこれを作ってやらなかったのかと後悔...。

100%安全で美味しい手作り鮭ふりかけ。ご飯に混ぜておにぎりにしても最高でした。あっという間に食べ切ってしまったので、今度はもっとたくさん作ろう。



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2012年9月3日

マンガみたいなことが実際に!

今日は、「こんなマンガみたいなことが実際に起こるのだ!」というバカバカしい話。

夕方のことです。

そろそろ晩ごはんの支度をしようと思いキッチンへ行きました。

暖かな春の一日が暮れようとしており、西の空をオレンジ色に染めて、太陽が沈みかけていました。

いつも夕食の支度をしながらテレビで夕方のニュース番組を見るのですけど、今日はまだテレビもつけていませんでした。娘のサチと二人で静かにおしゃべりをしながら食器を片付けたり、晩ご飯の材料を取り出したりしていたのです。

花粉症の季節も本格的に到来し、今日は鼻がムズムズするしくしゃみも出る。私は、鼻をかもうと思い、ティッシュを取りに行きました。

鼻をかみながら、食器を片付けている娘と引き続きおしゃべりしていた...

その時、

リリン!リリン!とけたたましい大音量で電話が鳴ったのです。

皆さん、

静か〜にしてる時に、突然大きな音がしたり、予期しないことが起きたりして、身体がビクッと動くことってあるでしょう?

突然電話が鳴って、私の身体はビクッとなったのですよ。

ところが、電話が鳴ったその瞬間というのは、私は鼻をかんでいたわけですからねえ、私の両手はどの位置にあったかというと、ティッシュをこう両手で押さえるようにしてですね、指先は鼻の穴のところにあったわけです。

指先が鼻の穴のちょうど下のところに位置している瞬間に、体がビクッと急激な動きをすると、そのような場合、指は下方向には動きません。

指はね、上方向に動くのですよ、皆さん!

ちょうど鼻の穴の真下に位置していた指は、ガクッと上方向に激しく動き、必然的に穴の中に突っ込んでゆくことは避けられないのです。

その衝撃のあまり、痛くて電話に出られない私。

その瞬間を目撃して、電話に出たのはいいが笑いをこらえられない娘。

それを見て、痛いけどおかしくて笑いころげる私。

ますます笑いをこらえられず、ゲラゲラ笑いながら話すサチ。(電話の相手が夫でよかった。)

ああ…

こんなマンガみたいなことが実際に起こったという話でございました。

それにしても痛かった。


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2012年9月2日

父の日

オーストラリアでは、9月の第一日曜日が父の日である。今年は今日9月2日が父の日だった。

忙しいせいか私の腰痛のせいか、なんだか最近ご機嫌の悪い夫。

「父の日などどうでもよい。そんなものは、自分にとって意味はない!」などと言ってはいたが、あらそうですかと何にもしないでいるともっとご機嫌が悪くなりそうだったので、やはりプレゼントなどよりも好物のローストラム料理を作ろうということになった。

夫の母のロースト料理を習った娘のサチは、13歳にしてロースト料理に関しては私よりも腕が上なので、料理の方は彼女に任せて私は片付けや洗い物などアシスタントに徹することに。

ただ、デザートは私がアプフェルシュトゥルーデルを作ることになった。

息子のカイは、料理に関してはあまり役に立たないので、テーブルセッティングと片づけ係ということにした。

料理中のサチ


サチが義母から習ったローストラムは、アプリコットジャムをラム肉に塗って焼くのだが、今日も本当においしくできた。肉を焼いた後のグレイビーを使ったソースも本当においしかった。ソースの味付けには何を使うのかとたずねると、「肉を焼いた後の汁とトマトソース(ケチャップ)とGravoxと野菜を蒸すのに使ったお湯」とのことだった。

ローストした野菜にも味がついていた。義母は野菜類はたいていただローストするだけだから、自分で工夫したらしい。

ブスッとした顔でテーブルにやって来た夫も、さすがに食べているうちに笑顔になった。

やれやれ。

Happy Father's Day!


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