2012年9月7日

「尊厳死」で逝った

末期がんで食べ物を口から摂取することが不可能になり、日に日にやせ衰えて体力を無くしていった夫の友人が、昨晩亡くなった。

彼が、最愛の妻を若年性痴呆症でなくし、子ども達家族との付き合いがなく、二人の親しい友人以外に頼れる人がいないという話は、先日「尊厳死を考える」という記事に書いた。

その二人の友人のうち一人は、先月より海外旅行中である。もう一人の友人というのが私の夫だ。

最期を看取ったのは、私の夫と、夫から連絡を受けても会いに来ようとしなかった彼の息子の妻の二人だった。

夫の友人は、数日前から耐え難い痛みに苦しんでいた。自宅にいたいという彼の希望をかなえるために、夫は朝晩彼の面倒を見てきた。度々、激しい痛みのために病院に担ぎ込むこともあったが、治療を受けて痛みがおさまればまた彼の家につれて帰り、必要な時には彼の家に泊まりこみ、朝自宅に戻ってシャワーを浴びて仕事に出るという生活だった。

しかし、そのような看病の仕方は限界を迎えた。終末期医療ケアの病院へ行くしかないと話し合い、夫は仕事を休んで彼を病院に連れて行った。

その病院に素晴らしい医師がいたのだ。

この医師は、終末期の患者が尊厳死を望む場合、法律にふれるぎりぎりのところでリスクを覚悟で患者と家族を援助することを使命と考えている。

夫の友人は、激しい痛みのためにモルヒネを投与され、意識を失いながら植物状態となって死を待つということを嫌がった。人間としての尊厳を保ちながら安らかに逝きたいと希望していた。

医師がどのような援助をしたのか、私は知らない。

しかし、昨日、彼は痛みを感じないけれども意識はあってコミュニケーションは取れるという状態であった。朝、夫は彼と話し合い、知人や関係者に「今日なら彼に会いに来てもよい」と連絡し、彼と最後になるかもしれない言葉を交わし、握手をして仕事に出た。

夕方、仕事を終えて病院に駆けつけると、病室では彼の妹が来て付き添っており、彼はすでに意識を失いかけていたが、その日、チャリティー活動を通して知り合った人達や昨年まで教えていた学校の関係者が数多く訪れて、彼と最後の挨拶を交わしたと知った。彼は、それらの人々とちゃんと話ができ、痛みもなく良い一日だったそうだ。

そして、彼の子ども達は結局誰も来なかったけれども、息子の妻が夕方訪れたのだった。

しばらくして、彼は眠った。

そして、大きく深い呼吸を繰り返し、その間隔が次第に長くなってゆき、6回目の深い呼吸の後、安らかな死が訪れた。

彼が望んでいたとおりの、安らかな死だった。

夫は家に帰って来て泣いた。

大切な友人を失った悲しみは大きかったけれども、その死に方には満足したと言った。あのように、安らかな死を迎えることができたこと、そしてそれを可能にしてくれた医師に感謝していた。

私のまぶたには、昨年私達家族が食べることにも苦労していた時期に、度々肉や果物を持って立ち寄ってくれた彼の笑顔が焼きついている...。


2 件のコメント:

  1. 初めまして。

    オーストラリアにもそんなお医者さんがいらっしゃったんですね。
    尊厳死、私たちにその選択肢が認められてもいいのでは?と日頃から思っているので、この記事を読んでホッとしています。
    もしもの時はオランダに引っ越そうかなー。、なんて思ってたから。
    (オランダでは合法だから)

    最後まで介護されたご主人、素敵ですね。

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    1. Cherryさん

      コメント本当にありがとうございます。昨日は一日中、私も夫の友人のことを思い出しては涙ぐむ辛い一日でしたが、この経験を通して、私は夫の誠実な人柄を再度見直しました。

      また、尊厳死の権利については、私もCherryさんと同じく、権利が認められるべきと思っていましたから、メルボルンではまだ合法化されていないけれども尊厳死に近いものは許されているのだと分かり安心したのです。

      あなたからのコメントは、夫にも読んで聞かせました。「...そうか...」と言ったきりため息をついていました。友人が亡くなったとたんに風邪をひいています。今まで、相当無理をして友人の世話をしてきたので、この週末はゆっくり休んでほしいです。

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